九州連盟の歴史
九州連盟発足の経緯

九州における車椅子バスケットボールの生い立ちは、太陽の家を創設した故中村裕氏を抜きには語れない。氏は同じ整形外科医の仲間である湯の児病院の鬼木泰博氏・九州労災病院の赤津 隆氏と共に車椅子バスケットボールをリハビリテーションにとりいれることを始めたことに原点がある。
1965年(昭和40年)には太陽の家と九州労災病院の対戦が行われており、その後湯の児病院も参戦すようになった。定期戦として大会が行われるようになったのは、1971年(昭和46年)からであり、大会名を西日本ブロック車椅子バスケットボール選手権大会と命名した。
この大会は、関西以西のチームならすべて受け入れ、啓蒙することを目的にしていたので年々参加チームが増加し、1986年(昭和56年)24チームが参加して開催された徳島大会を最後に解散した。
その背景には、日本車椅子バスケットボール連盟が1980年(昭和50年)に組織化され、九州車椅子バスケットボール連盟の結成によるところが大きい。
西日本車椅子バスケットボール大会は、当時として日本最大の定期大会として、その後の日本における車椅子バスケットボールの発展に大きな影響を与えた。
1972年(昭和47年)鹿児島県で開催された第8回全国身体障害者スポーツ大会で正式種目として車椅子バスケットボールが承認され、九州地区では一気に競技熱がたかまりチーム数が増え今日に至っている。
尚審判団育成では、九州各県のバスケットボール協会へ車椅子バスケットボールの審判を依頼し講習会等を開催して、その結果各県での持ち回り大会が可能になった。

国際的活動

1975年(昭和50年)のフェスピック大分大会以来国際活動も盛んに行われた。
1976年ソウルパラリンピックの決定後車椅子バスケットボール競技者がいない韓国の関係者の要請を受け九州12チームより一名選抜したチームで大田市およびソウル市でデモンストレーションゲームを開催し韓国ナショナルチームの結成に貢献した。又太陽の家との共催で中華人民共和国や香港チームの強化に尽力した。
1995年には、タイ王国へ九州選抜チームを派遣して、車椅子バスケットボールの啓蒙啓発活動を展開し、フェスピック・バンコク大会のタイナショナルチームの結成と強化に努力した。
特筆すべきは、2002年世界車椅子バスケットボール選手権大会が北九州市において開催され、日本における車椅子バスケットボールの発祥地九州に大きな足跡を残した。

タイ・バンコク九州連盟指導